2021年3月4日木曜日

ブラヴァツキー夫人とオウムをくっつけるT・O氏 ⑨「原子の無限の分割性」とブラヴァツキー夫人は言う

 ※ブラヴァツキー夫人に関する大田俊寛氏の論考に疑問を抱き、ココログブログ「マダムNの覚書」にノートしているところである。

いずれノートをまとめたエッセーにして、はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に収録する予定。

関連記事は前掲はてなブログのエッセー26「ブラヴァツキー夫人の神智学を誹謗中傷する人々 ①ブラヴァツキー夫人とオウムをくっつける人」である。

作業をやりやすくするため、「マダムNの覚書」のノートを当ブログにピックアップしておく。

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2020年9月15日 (火)
「原子の無限の分割性」とブラヴァツキー夫人は言う
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/09/post-0656f0.html

素粒子物理学によると、物質を構成する最小の単位(基本粒子)は素粒子と呼ばれ、クォークは素粒子のグループの一つである。

わたしは科学音痴であるにも拘わらず、23歳のとき、以下の本を書店で見つけ、購入した。クォークが物質の最小単位と騒がれていたころだった。以下はAmazonの書籍情報から。

クォーク―素粒子物理の最前線 (ブルーバックス (B‐480)) 新書
南部 陽一郎 (著)
出版社 : 講談社 (1981/11/1)

われわれは物質の究極にたどりついたか?
陽子や中間子はもはや素粒子ではない。その代りに登場したのが「クォーク」だ。しかし、クォークを求め、これを支配する法則を探り、揺るぎない物質の根源を究めようとした努力の果てに、何とすべての物質が崩壊するという驚くべき可能性がほの見えてきたのである。本書は、素粒子物理学が過去50年間にどう発展し、現在何がわかっているかを、物理学者がどんな考え方をたどっていまの位置に到達したのか説明しながら、具体的かつ系統的に解説する。
本を見つけて興奮したが、それは読んだばかりのハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981)の中で、素粒子物理学の瑞々しい発見に横槍を入れるようなことが書かれていたからだった。
 1891年に「電子」という言葉がはじめて使われました。偉大なロシア人、バトラーロフのような数少ない科学者達は何か固い、目に見えないものという、昔からの原子の概念を疑いはじめていました。しかし、彼等はこれは物質の存在そのものを疑うのと同じであると自認していました。
 科学が原子は分割できるということを確認した時より3年前に、ブラヴァツキー夫人はシークレット・ドクトリンに次のように書きました。「原子は弾力があり、分割することが出来るものなので、分子即ち亜原子で構成されていなければならぬ……オカルティズムの全科学は物質の幻影的性質と原子の無限の分割性との理論の上に築かれている。この理論は、実質について無限の視界を開く。実質はあらゆる微妙さの状態にあり、その魂の神聖な息によって生気を吹き込まれるものである」
 しかし、一般に、人々はこのようなオカルトの真理と世界の形勢と運命とを変える科学的傾向には殆ど関心がありませんでした。
(マーフェット,田中訳,1981,p.405)
9月5日の記事でも書いたように、マーフェットはこの文章で、『シークレット・ドクトリン』の「Vol. 1, Page 519」から「Vol. 1, Page 520」にかけて引用を行っている。

H. P. Blavatsky. “The Secret Doctrine: A Synthesis of Science, Religion, and Philosophy.”,Vol.1,pp.519-520. The Theosophical Society International Headquarters – Pasadena, California. https://www.theosociety.org/pasadena/sd/sd1-3-06.htm, (accessed 2020-09-05).

「原子の無限の分割性」とブラヴァツキー夫人はいう。つまり、クォークは物質の最小単位ではないとブラヴァツキー夫人は述べているのだ。

そのほのめかしは現代の素粒子物理学からも感じとれるが、科学を物質の領域に限定すれば、2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部博士の「クォークを求め、これを支配する法則を探り、揺るぎない物質の根源を究めようとした努力の果てに、何とすべての物質が崩壊するという驚くべき可能性がほの見えてきた」というような心配も起きるのだろう。尤も崩壊するのは物質ではなく、近代科学が築いた壁なのだろうが……。

ブラヴァツキー夫人の亡くなったのが和暦でいえば明治24年(1891)、生まれたのは江戸時代であったことを思い出しておこう。ブラヴァツキー夫人の時代に使われていた科学用語や哲学用語を使って、当時の科学者どころか現代の科学者さえ未だ探究していない物理化学現象を説明しようとするとき、夫人は神話の言葉や錬金術用語まで使わざるをえなかった。そうしたものには、神聖なオカルト科学のエッセンスが存在したからである。

1981年に上梓された前掲書『クォーク』の中で南部博士が「素粒子物理学の50年の歴史」とお書きになっているから、ブラヴァツキー夫人の時代には素粒子物理学という分野は存在しなかったのだろう(その程度のこともわからない人間が当記事を書いているのだとお含みおきいただきたい。息子が読んだら失笑ものだと思う。喧嘩さえしていなければ、優しくて面倒見のよい、生き字引のような息子にちょっと読んで貰えるのだけれど)。

素粒子(elememtary particle)という用語も、『シークレット・ドクトリン』のインデックスでは見つけられなかった。elememt、elememtal、elememtary というという言葉は頻出するのだが。

ブラヴァツキー夫人は、前掲の引用の続きに当たるようなことを、『シークレット・ドクトリン』の議事録で述べている。
本当の原子は物質界には存在しません。定義によると、点は位置はあるが、オカルティズムではこれは普通の意味の場所と受けとってはいけません。本当の原子は空間と時間を超えます。……(略)……原子は物体あるいはむしろ分子の第七本質にたとえることができ、オカルティストにとっては、実際に、その第七本質です。物理学または化学的分子は無数のより精妙な分子から成っており、これらは数えきれない、更に精妙な分子から成っています。例えば、鉄の一分子を分子でなくなるように分解してみなさい。すると分子は間もなく、その七本質の一つとなり、即ちそのアストラル体となります。七本質の第七番目のものは原子です。分解前の鉄の分子と分解後のそれとの関係は、死ぬ前の肉体と死後の肉体との関係と同じようなものです。体はなくなりましたが、諸本質は残ります。もちろん、これはオカルト的なアルケミーであって、近代化学ではありません。
(H・P・ブラヴァツキー、田中恵美子&ジェフ・クラーク訳『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、議事録pp.694-696)
このことは、「人間を含めて宇宙のあらゆる生命、また宇宙そのものも『七本質』という七つの要素からなっている」(H・P・ブラヴァツキー、田中恵美子&ジェフ・クラーク訳『実践的オカルティズム』神智学協会ニッポン・ロッジ、1995、用語解説p.23)という神智学の教えを理解しなければ、意味不明なものとなるしかない。

ところで、南部博士の『クォーク―素粒子物理の最前線』は第2版が1998年に上梓されている。 以下はAmazonの書籍情報から。
クォーク 第2版 (ブルーバックス)
南部陽一郎 (著)
出版社 : 講談社 (1998/2/20)

すべての物質は何か共通の基本的な材料からできているのではないか?この考え方から出発して、物質の究極的構造を求め、それを支配する基本法則を探る素粒子物理学。それがどのように発展し、どこまで来たかをトップ・クォークの発見を踏まえて見渡し、解説する。
ブラヴァツキー夫人の『シークレット・ドクトリン』には、「すべての物質は何か共通の基本的な材料からできているのではないか? 」という問いへの回答もある。
無限で不老不死の唯一の宇宙元素だけが存在し、その他のものすべて、即ち大宇宙的結果から小宇宙的結果に至るまで、又超人から人間や人間より下の存在に至るまで、簡単に言えば、客観的存在のすべてはその唯一のものが多種多様に分化した諸面であり、今は相関関係(correlation)といわれている変形であることをもし学徒が覚えているならば、最初の主な難点はなくなり、オカルト宇宙論に熟達することができるだろう。
(H・P・ブラヴァツキー、田中恵美子&ジェフ・クラーク訳『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、p.293)
宇宙中の各原子には自己意識が可能性として潜在しており各原子はライプニッツの単子[モナド]のように、それ自体の宇宙であり、また自らのための宇宙でもある。それは原子であり、天使である。(同書,p.335)

星から鉱物原子に至るまで、最高のディヤーニ・チョーハンから最小の滴虫類に至るまで、完全な意味で、大自然の複合物の各構成物の究極的エッセンスが根本的に統一していることはオカルト科学の唯一の基本である。それが霊的世界または知的界、物質界のいずれに当てはめても違いはない。“ 神は果てしない無限の広がりである”とオカルト諺は言う。(同書,p.352)
ブラヴァツキー夫人は、シークレット・ドクトリンは古代の智惠を集めたものだという。

これは人類の揺籃期を見守って来た高位の存在の教えが一つの初期の人種から別の人種に口頭で語り伝えられた伝統をテストし、真実であることを実証させられた幾千代もの賢者達のそれぞれの経験を網羅している途切れることのない記録である。第五根本人種即ち最後の大洪水と大陸の変動から救われた人種の“ 賢者達”はそれを教えることなく、長いこと学びながらその生涯を過ごして来た。どのようにして彼等は学んで来たのだろうか? 自然のあらゆる分野の中で昔の伝統を偉大なアデプト達の独自のヴィジョンによって照合し、試し、確証することを通してである。偉大なアデプト達は肉体的、知的、サイキック的、霊的な諸器官を最高度に発達させ、完成させた方々である。一人のアデプトのヴィジョンは独自の得られたヴィジョンと何世紀もの経験によって照合され、確証されるまで受け入れられることはなかった。
(H・P・ブラヴァツキー、田中恵美子&ジェフ・クラーク訳『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、pp.545-546)
この文章は、ブラヴァツキー夫人の宇宙発生論(Cosmogenesis)及び人類発生論(Anthropogenesis)、即ち『シークレット・ドクトリン』全体を読んだときに(読めたときに初めて)、深い感動と共に読者を包み込むに違いない。

ちなみに、前掲書『クォーク―素粒子物理の最前線』によると、「クォークという『おかしな名前』」(p.21)は、クォーク仮説の提唱者の一人であるゲルマンがつけたものだそうだ。
ジェイムズ・ジョイスの小説フィネガンズ・ウェイク(Finegans Wake)の中の一句から取ったと、ゲルマンは断っている。いずれにしても、これらの名前は著者のウィットを示すもので、意味をせんさくする必要はない。クォークという名が一般に通用しているのは、言葉の神秘的な響きと命名者の権威によるものであろう。(南部,1981,p.124)
昔、この本を読んだときはジョイスの小説は未読だったので、何とも思わなかったに違いない。今はそうでもない。正直にいえば、はらわたが煮えくり返るような気持ちである。勿論、クォーク仮説の提唱者の一人であるゲルマンに対してではなく、ジェイムズ・ジョイスに対してである。なぜそういう気持ちになったのかは、拙「マダムNの神秘主義的エッセー」の以下のエッセーをお読みいただければ、わかっていただけるのではないかと思う。
96 ジェイムズ・ジョイス (1)『ユリシーズ』に描かれた、ブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名

97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスのキリスト教色、また作品の問題点
ブラヴァツキー夫人はジョイスの悪ふざけの対象となり、また、日本の数名の学者達によってオウム真理教事件と執拗に関係づけられてきた。

その学者の一人である大田俊寛氏は、過去記事で書いたように、ブラヴァツキー夫人の代表的著作『シークレット・ドクトリン』を、『現代オカルトの根源――霊性進化論』(筑摩書房、2013)や『オウム真理教の精神史 ロマン主義・全体主義・原理主義』(春秋社、2011)で採り上げ、内容とはかけ離れた紹介の仕方をしている。

まともに両書を読み比べてみると、大田氏の著作に書かれたブラヴァツキー夫人に関する部分が如何に噴飯物であるかがわかるだろう。

 

※当ノートに加筆、修正を加え、はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」 にエッセー106「『原子の無限の分割性』とブラヴァツキー夫人は言う」として収録、公開中である。

 その後、機械朗読によるYouTube動画化も行った。


 

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